思索する探検家の面目躍如~山の図書館
「地図なき山 日高山脈49日漂泊」(角幡唯介著)
あらためて思うが、角幡は探検家であるうえに、すぐれた思索家だ。
2014年に出した「地図のない場所で眠りたい」(講談社、高野秀行との対談)で、こんな発言をしている。
――僕がやりたいことというのは、やり方が決まってないことなんです。(略)登山ってルールとかモラルがすでにあって、ある程度やり方が決まっているんですよね。そういうものがまったくないところに行って、その場所にいったいなにが必要なのか、一から自分でやり方を考える。そういうことが楽しいわけですよ。(「地図のない場所で」101P)
もともと、社会のシステムの外側に脱出することが探検の本旨だとの持論を持つ。そのうえで、何をすべきかを一から考える。そのことが楽しい、といっている。チベットの人跡未踏の峡谷に分け入った「空白の五マイル」や太陽のない氷原を4か月の「極夜行」、食糧を持たず狩りで命をつないだ極北漂泊の旅「裸の大地」―。まぎれもなく角幡にとっての「探検」だった。転じて北海道・日高山脈。はて、これはスケールが小さくないか。今の日本に、角幡が定義する探検にあたる場所はあるのか。
地図は人間社会の経験、知識の集積である。人間と自然の境界線を形成するメディアといっていい。まずこれを捨てる。食糧は最小限しか持たず(コメは持っていったようだ)、現地調達。こうして自然と向き合ったとき、何が見えるか。
読み進むにつれ、大自然に裸で向き合ったとき内部で何が起きるか、恐れであったり、時間の放棄であったり(予測不可能→計画が立てられない)、精神の崩壊であったり―つまり、探検する対象は自然とともに自己の内部であったことがわかる。
私たちは、地図や事前の情報を仕入れ、目的とする山の出発点と頂上をいかにリスクを少なく短時間で踏破するか予測・計画する。私たちの登山とは点と点を結ぶ線の行為である。角幡はまず、このことを否定する。日高山脈という「面」と向き合う。そのうえで目前の沢やピークを遡上、もしくは登りたいと思えば、実践する。
角幡と私たちは、何が違うのか。彼は、フランクリン隊の悲劇を例示する。北極海で遭難、氷原をさまよった人たちと同じ地点に立ったとき、旅の深度が違う、と感じた。地図を持つ自分と、持たないフランクリン隊と、同じ深度で見るためにはどうするか。ここに日高地図ナシ漂泊の狙いがあった。
かつてのフランクリン隊のように、日高の山々と向き合う―。
――漂泊登山とは、読んで字のごとく山々を流浪する行為のことである。風に吹かれる柳の枝、高いところから低いところへ流れ落ちる川の水のように、縷々、その時々の状況や展開に押し流されながら、山々を渡り歩く登山だ。目的地をこしらえず、綿密な計画もたてず(略)山塊を自由気ままにわたり歩く山旅のことである。(「地図なき山」49P)
なぜこのような心境になったか。山頂というゴールに絶対的価値を置く近代の登山に窮屈さを感じたからという。端的な例として<計画>の問題がある。普通の登山だと綿密な計画を立てる。すると、登山より計画の実行が第一目的になる。計画通りいけば成功だし、頓挫すれば失敗だと思う。この価値観は妥当なのか―。
角幡は<距離>という言葉を、ここで使う。もちろん、物理的なそれではない。目の前の風景との没入感、融合度の深化を阻むもの。もっと端的に言えば、風景がもたらすわくわく感、人間への回帰感、ロマンティシズム(をくすぐる喚起力)を失わせるもの。近代の思考が持つ虚無感。それらを取っ払いたいという思いを、この言葉に込める。
これらの思索が、2017年から22年までの計4回の地図ナシ漂泊で行われた。最南端から出発した角幡は、結果的に美しいラインを描いて北上する。彼は日高最北の山に到達したか。それは読んで確かめてほしい。ただ、彼は深い満足感をもってこの山旅を終えているらしいことは付記しておく。
山に登ることの意味、自然に分け入ることの意味、人間の存在と実存、唯識、唯物、それらの探求が深く静かに行われていることに驚く。
新潮社刊、2100円(税別)。
地図なき山―日高山脈49日漂泊行― - 角幡唯介
この記事へのコメント
ふるたによしひさ
ゆるり